4月1日(月)「オートマの故障が判明・・・の風さん」
3日ぶりの運転なので、しっかりアイドリングをしてからミッシェルを車庫から出した。
しかし、いきなりの坂が登れない。エンジンが空回りする。おかしい。
金曜日にカリチュー(ミッシェルを買った中古車ショップ)に再ドックインをお願いしていてよかった。
旧職場に早めに着いた。
会議で説明した後、研修所へ向かった。
途中でクルマはミッシェルから代車に変わった。
昼休みに研修所の裏の芝生にブルーシートを敷いて花見になった。
桜の木が10本くらい取り囲んでいて、ほぼ満開。風もなく、晴天、しかしそれほど日差しは強くない。
花見弁当を皆で食べたが、外で食事するのは気持ちいい。できれば親しい仲間数人だけだったらもっとよかった。
帰りにカリチューに寄った。オートマの故障で、そっくり交換するしかないという。すぐに決意できないため、とりあえずミッシェルを受け取って、しばらく「だましだまし」運転することに。
薬局で買い物し、ミッシェルにもほぼ満タン給油して帰宅した。
4月2日(火)「ミッシェル、限界・・・の風さん」
昨日とうってかわって朝からどんよりした空模様。
あいかわらずミッシェルは不調。ますます悪化している気がする。
気分はどんどん落ち込む。
昨日、研修所でメールチェックしたら、会社の外から受信しているメーラーに、英文のメールがあった。
自宅だと迷惑メールにほぼ間違いないが、会社なので、念のため、読んでみた。
僕の論文を読んだインドの学生からで、僕の勤務先に就職したいから接触先を紹介してほしい、というものだった。かなり長文で、あちこち話題が飛んでいたが、全体的に学生らしい素直さと同時に熱意が感じられた。詳細な履歴書も添付されていた。
昨日はいなかったインドに詳しい同僚に見せたら、意外なほど興味を示した。
昼食を研修所の食堂で摂ったが、明日からまた研修所ダイエットに入るので、これが食べおさめ(笑)。
昼休みは図書室でうとうと。
午後から雨になった。天気予報通りだ。
夕方、本社に行っている同僚から電話が入った。インドの学生からのメールの件で、人事部の採用に話したら、インドの地域人事に伝えてよいという判断だった。こうなることを予想していた同僚は興奮していた。
雨の中、帰宅しようとミッシェルを始動させたが、百メートルも走らないうちに、限界を感じた。
低速走行中、3速と4速の間の勝手な変速を繰り返すのだ。トルクを感知しても自動変速でないことは明白だった。
カリチューに直行し、ミッシェルを預け、また代車を借りた。
事態は、修理かそれ以外の手段か、重大な意思決定を迫っていた。
4月3日(水)「金の卵?・・・の風さん」
代車にはETC車載器が装着してあったので、いつも通り有料道路で出社した。
研修所の建物の通用口へは桜の木の下を通るのだが、桜が惜しげもなく花びらを散らしている。アスファルトの歩道は、黒地に桜の小紋のようだ。
職員の女性とばったり遭遇した。彼女はケータイでこの景色を撮影していたところだ。彼女には僕と似た感性を感じる。特殊でなく、ごく普通の素直な感覚である。若い男女のこういったシーンは、くさい芝居のちょっとした出会いの場面になる。小説ならさりげなく描写しなければならない。
ネットで、今朝のETC利用証明が手に入るか確認したら、エラーになった。
原因がなかなか分からなかったが、カリチューの証言も聞いて、ようやく判明した。
代車はよそで手に入れたもので、ETCは最初から装着されていた。登録番号を変更したが、そのとき車載器の再セットアップはしなかったのだ。セットアップ時には、登録番号も入力するので、ゲートで代車のナンバープレートから読み取った登録番号と、ETC車載器から読み取った番号が一致せず、ネット上ではエラーになっていたのだ。
補助金申請には利用証明が必要なので、この代車を使う限り、現金で領収書をもらうしかない。
なお、ETC車載器の再セットアップには2500円かかるという。
同僚がインドの学生からのメールを、インドの地域人事へ転送してくれた。
すると、まもなくインドから電話がかかってきて、ぜひ面接して確かめたい内容だが、今、上司が不在なので、明日にでも再度連絡する、とのことだった。
地域人事も興奮している様子で、鈍感な私もようやく事態が飲み込めてきた。この学生は金の卵の可能性があるのだ。
インドでも超難関のインド工科大学の学生だった。
4月4日(木)「後継車もロードスター・・・の風さん」
インドの地域人事から「ぜひ面接したいので、学生に接触してくるように伝えてほしい」という連絡が入ったのが午後1時24分だった。それからやっと学生への返信メールを書き、同僚に英文を添削してもらってから、メールを送信した。まもなく学生からお礼のメールが届いた。ここまで1時間を要しなかった。
同僚に言わせると、8000km離れたインドとの間を、短時間で連絡し合って、望ましい結果が得られた、自慢できる仕事とのことだった。最近、落ち込むことの多かった私だが、今日は気分がいくらかハイになった。
こうなったら次はミッシェルだ。
昨夜のワイフとの相談でもミッシェルをどうするか決まらなかった。当面、電車通勤に変更して時間をかせぐという逃げの手も検討したが、片道の通勤時間が1時間伸びることが判明し、やめることにした。読書時間が増えるじゃないかという意見もあるかもしれないが、座れない時間が長いことは過去の経験で分かっている。
実は、先月の風雨が強かった日、庭のログキャビンの屋根のスレートが1枚剥がれ落ちていた。こちらもそろそろ寿命がきている恐れがあった。今日、信頼している大工さんに見に来てもらい、対策方法を相談していた。その結果も、やはり屋根全面修理が必要とのことだった。ついでに、うちの猫と遊んでから大工さんは帰ったという。
私も重大な決断をしなければならなかった。多くのこだわりを捨てなければ、結論にたどりつけないからだ。捨てた第一のこだわりは、「目指せ、20万キロ」だった。今回オートマを修理しても、年末の20万キロ達成後は、予防処置を徹底しない限り、次々に新たな故障が生じることが予想される。20万キロとは、そういう節目でもある。元々20万キロを超えて大きな故障が生じたら買い替えだと思っていたのだ。それが少し早くなっただけなのだ。
そして、あと2、3のこだわりを捨て、若干情けない話ではあるが、今のような状況があと数年続くと考えて(通勤のためにクルマが必要だから)、ミッシェルの後継車つまり中古のロードスターを手に入れることにした。やはり今の私には中古のロードスターが分相応ということだ。
夜の家族会議(夫婦二人だけだが)で、結論が確定した。
4月5日(金)「高血圧ギリギリ・・・の風さん」
朝一番でカリチューに結論を伝えた。スッキリした。
代車なので、社有車を借りて本社を往復した。血圧の経過観察のためだった。
140−88で、あいかわらずギリギリの高値安定だった。医者は、次回もこんな値では薬を服用してもらうことになります、と少し真顔で宣言した。定年で退社すれば、もうここへ来ることもないのだろうが、残念ながらまた来るだろう。どうせ会社で薬はくれないのだから、先回りしてかかりつけの医者から薬をもらって、血圧を下げてからここへ来ようか。
半年ぶりにカロリーメイトだけの昼食(ただし研修所にいるときだけ)にして、今日で3日である。この程度の食事でも、別に空腹で死にそうになったりしないのだから、現代人は食べ過ぎなのかもしれない。
午後は、研修所で卒業研修のグループ発表を聴講し、2つのグループに対し講評をさせてもらった。なかなか面白い発表だった。ふだんの仕事でこういったことができれば楽しいのだろうが、今の生産技術者にこういった夢のある仕事をする機会はほとんどない。気の毒だ。
定時で退社し、ガソリンスタンドで代車に満タン給油して帰宅した。
旧職場にほとんど顔を出さなかったが、今週も実に忙しかった。
4月6日(土)「今年も新鷹会アンソロジーに収録・・・の風さん」
ミッシェルの後継車選びをカリチューに頼んだのだが、はたしてこの地域にどれだけのロードスターが売りに出ているのか、試しにgoo-netで調べてみた。
そうしたら、東海地区だけで32台が出てきた。これだけあると選り取り見取りといった感じだ。
1台ピックアップして、カリチューに交渉を頼んでみた。
そのころ、OmO教授から返信があった。実はOmO教授も同じ年式のロードスターに乗っている。セカンドカーなので、手放す気がないか打診メールを送ってあったのだ。
向こうはまだ走行距離が5万キロとのことで、手放すとボケる気がするので、売らないよー、だって!
こうなったら1日も早くミッシェルの後継車が欲しい。
ちなみにミッシェルの走行距離は191996kmだった。廃車になるのか、修理してまた市場に出るのか、今はなんとも分からないが、私が乗ることはもうないだろう(あと4km乗って192000kmにするのも、今の故障したオートマのままでは危険だ)。
今日は午後から天気が急激に悪くなり、夕方以降は風雨が強かった。
また、うれしいことがあった。今年も光文社から新鷹会アンソロジーが出ることになり、私の作品が収録される。「天連関理府(てれがらふ)」という短編だ。光文社文庫が出たらお礼をしなければならない人がいる。作品のヒントを提供してくれた人と、アンソロジー収録を決めてくれた人だ。
4月7日(日)「また散財?・・・の風さん」
少し寝坊してしまった。昨夜遅くまでLINEのゲームなんかやってるからだ。
何のアウトプットも出せないまま1日を終えるわけにはいかない。
午前中、書斎の整理をした。新型プリンターを共用にするための中間ステップとして外へ設置し、旧型プリンターをスキャナー専用機として使うため、長女の部屋から戻してきた。
レイアウトはバッチリだったが、旧型機がウィンドウズ8に対応していないため、やや使いずらいことが判明した・・・が、仕方ない。
午後になって不安定な空も落ち着いてきたので、昼食後、ワイフと外出。知人の家の小屋を見てくる。母の遺品を一時収納しようというアイデアだったが、しっかりした作りであれば、良い方法だと納得した。
図書館に寄って借りている本の延長手続きをし、ワイフのクルマに給油し、晩御飯の食材を買って帰宅したら、もう日没近かった。道路わきの菜の花がやたらと目についたドライブだった。
今年度前半の資金繰りの目途がついたので、気が大きくなった私は、アマゾンで古本を発注した。1冊17000円以上する英語の本だ。ドイツからの取り寄せとなる。
4月8日(月)「1979年5月の思い出・・・の風さん」
旧職場に出社し、代車のための臨時駐車証を入手した。期限は今月いっぱいとしてもらった。
二つの会議に出てから、やりかけた自分の仕事を猛スピード(?)でやり、バタバタと席を立った。
雲一つない青空の下、代車のハンドルを握って本社へ。
途中で、郵便局に寄り、駅にも寄った。
本社で週末の出張用の切符を受け取り、見事に会議に間に合った、と思って現地へ向かったら、なぜか会議は開催されなかった(笑)。また、ボケか・・・。
せっかくなので、雇用延長中の同僚に、定年退職後のことを聞いた。
重要な情報が多く、私にももうじき説明会があるだろう、とのこと。
goo-netで見つけたミッシェルの後継車について、カリチューから電話があった。
車検整備などで儲ける下心があったらしく、売ってくれないとのこと。
ビジネスの世界は厳しい。
インターネットニュースで、「鉄の女」サッチャーさんの死去を知った。
1979年5月4日、サッチャーさんが首相になった日、大学院生だった私はロンドンにいて、その号外を手にした。
記念すべき日に、現地に居合わせたことに感動を覚えたものだ。
翌年社会人になってから33年の星霜が流れた。
4月9日(火)「やっとレジュメが完成・・・の風さん」
このところず〜っと、会社でも忙しい。能率が落ちているので、やれどもやれども先へ進まない感じがする。こういうときは、敢えて女性が得意だという同時並行方式で、あれこれ少しずつやってみる。そうすると意外と進んだりするから不思議だ。
会社なので回覧雑誌も多い。書類箱に山積みされていたので、こういうときは手に取ってみる。読み出すと止まらなくなる(ただし疲れるまで)。やはり私は男だ。しかし、それにしても面白い記事が多いな。気になる本をメモする(やめろー! 病気だぞ、もう)。
夕方、会議があったが、LINEでメールが入った。昔の女……じゃなかった友達からだった(笑)。フェイスブックでも古い友達が出現するが、LINEでも同じことが起きている。人生、余命が見えてくると、こういうことがとっても貴重に思える。
今夜も夕食後ダウンし、疲労がとれてから作家活動を開始した。
今月後半にある講演のためのレジュメ作りで、終わって就寝したのは午前3時過ぎだった。
4月10日(水)「今日は交通事故死ゼロを目指す日・・・の風さん」
旧職場へ出社した。これから1週間来れそうもないので、午前中、非常に忙しかった。
その間に、情けない話を聞いた。
今日は国が定めた「交通事故死ゼロを目指す日」とかで、この製作所でも、主だった職制が街頭に立って、通勤時間帯に交通安全立哨をおこなった。ところが、その目の前で追突事故が発生した。加害者も被害者も社員(職場は違う)だった。幸い怪我もなく、クルマもかすり傷程度だったが、集団心理の原理により無視されない。
当然警察も呼ばれて、しっかり事後の処置がとられる。社内的には、事故はひとつだが、2つの職場で、加害事故1件と被害事故1件というカウントになる。「一粒で二度おいしい」というコマーシャルがあった気がするが、こういうのは「一粒で二度まずい」。
そもそも私は会社の交通安全運動の精神に批判的だ。まるで仕事の成績や効率の管理と同じで競争心理をあおっている。それは間違いだ。
会社の交通安全運動の基本精神は、社員が感謝するようなものでなければならない。「会社が運動をしてくれるおかげで事故の心配が減って、家族も地域住民も感謝しているよ」そう言えるものでなければならない。
たとえば、ドライブレコーダーの希望者への無料配布とか、パニックブレーキの体験や練習をさせるとか、模範運転者(無事故無違反だけでなくマナーが素晴らしいとかも)の表彰etc.だ。
身内から違反者を出さないためにピリピリさせているような今のやり方は、昔のキリシタン禁止やナチスのユダヤ人狩り、赤狩り、連合赤軍のリンチと同類だ。
4月11日(木)「気になる年金制度・・・の風さん」
代車のETCは再セットアップされてないので、今日も現金払いで有料道路を使って研修所に出社した。
あれこれやることは多いが、会社で一番気になっていることは、定年に関わる年金説明会のことだ。
これまで不勉強だったので、しっかり説明してもらわないと理解できないだろう。
いつ説明会があるのか、調べてもらったので、そこへ電話したら、意外な返事だった。
信じられない内容だったので、もう一度調べてもらったところ、担当は別の部署だった。
電話で尋ねた部署は、どうやら想像で私に回答したらしい。あぶないあぶない。
年金の説明会は6月にあるそうだ。
定年を過ぎた直後のスタートの切り方について、私にはまだ迷いがある。
午後は有休で愛工大へ出かけた。今日から非常勤の講義が始まるのだ。
最近体調不良の大野先生はあいかわらず良くなく、最初の挨拶だけでお帰り願ったが、とても心配である。
近いうちにお見舞いがてら訪ねなければ。
キャンパスの事務室の女性から、お嬢さんが作ったという「ちんすこう」をもらって食べた。非常に良い味だった。
昨日もらった「紅いもタルト」も沖縄のお菓子である。沖縄が身近に感じられる。
帰りの運転中、カリチューから電話があった。明日のオークションに出てくるロードスターの情報だった。
残念ながら私の希望からやや遠かった。
夕食後、いつものように疲労が出た。
とりあえずリビングでダウン(最近これが多い)。
4月12日(金)「日本の明るい未来・・・の風さん」
午前零時過ぎに目が覚めた。
根性を出して、書斎へ向かった。
ビジネススクールの中間報告書の締め切りが明日に迫っている。
今日は東京出張で、夜からまた須賀川へ出かけるので、朝までに提出してしまいたかった。
先日のゼミで使った資料を少しだけ前進させて、午前5時前に提出を完了させることができた。
それから風呂に入るため書斎を出たが、もう外が白みかけていた。
これからどんどん日が長くなっていくのだ。朝も早い。
入浴後、2時間仮眠して起床した。
今日の東京出張は講演会の聴講だった。3Dプリンターに関するもので、最新の話題を知ることができた。
20年近い前、ラピッドプロトタイピングの一つとして登場した光造形技術などが、その後進化して、中でもインクジェット方式に似た3Dプリンターは、今や、パーソナルユースに耐えられる使い勝手と低コストが実現しているのだという。
しかし、3Dプリンターは単なる1要素技術であって、本質は、モノづくり革命の兆候である。
メーカーや専門家のテリトリーだったモノづくりが、メインフレームがパソコンになったように、ぐっと身近なものになってくるということだ。
講演会はそれだけでなく、ベンチャーつまり起業家によるセッションがあり、モノづくりはまだまだ捨てたもんじゃないという話で、非常に感銘を受けた。
日本は、これからは大企業、中小企業だけでなく、ベンチャーも活躍する時代になりそうだ。
話を聞きながら、私も、定年後の人生に、もう一度チャレンジ要素を加えていきたくなった。
東京から東北新幹線で郡山へ向かった。途中で雨が降り出したので、傘を持ってこなかった私は少し心配したが、着いたら全く雨の気配はなかった。
いつものように自室でパソコンを立ち上げ、iPhone5のテザリングでネット接続を試みたら、今まで3Gだったのが、LTEになっていた!
動画もほとんど止まることなく流れた。
4月13日(土)「104歳のひいひいおばあちゃん・・・の風さん」
昨夜ビールを飲みながら、パソコンで韓国映画なんぞを観てしまったため、今朝は寝坊した。
昨日、かなり疲労を感じていたので、まあ、よしとしよう。
菓子パンと豆から挽いて淹れたコーヒーで朝食。
優雅な印象があるだろうが、リビングは相変わらず臭い。
片付けに入る前に、室内の写真をたくさん撮った。記念に残しておけば、すっかり様子が変わってもある程度気持ちの動揺はおさえられるはずだ。
早速リビングから着手……というか、前回の続きだ。まだ手を付けていなかったところに臭気の原因を発見。
一昨年こつ然と消えた生まれたばかりの猫たちの死骸だった。泥のような固まりになっていて、腐敗臭がしていたのだ。
これを始末しても、カラーボックスにべったりと貼り付いていたので、最終的にカラーボックスを外へ出した。
他に、テレビ台の中から写真がどっさり出てきた。およそ30年分で、家族から送られた写真がたまっていたのだ。
一気に捨てることはできないが、母の母としての人生が充実していたことを再確認できた思いがした。
しかし、晩年になって認知症になったため、家族の間で不協和音が鳴り響き、最後は自分で自分の死期を早めた格好だった。
私を含めて家族が認知症について十分な知識を持っていたら、もっと早い時期に何らかの処置ができたかもしれない。それだけが悔やまれる。
晩ご飯を食べに兄貴の家に行った。
テレビで5世代同居、一番上が104歳のひいひいおばあちゃん、幸福な大家族を見た。母も認知症にさえなっていなければ、104歳くらい平気で到達したろう。
帰りに団地内の公園に寄った。こちらはちょうど今が桜の季節で、照明をかねた赤ちょうちんの列が目についた。
空は満天の星。冬の象徴オリオン座がはっきり見えた。月は鋭い三日月だ。
4月14日(日)「長時間移動・・・の風さん」
目覚ましをセットしなかったこともあり、昨日よりさらに寝坊してしまった。
ゴミがなるべく残らないように、豆挽きコーヒーはやめてスティック・コーヒーで朝食を終了。
洗濯はしておきたかったので、パジャマをはじめとする洗い物を洗濯機に放り込みながら、作業を続けた。
こうやって1階はだいたいやり終え、階段の途中は3分の1ほど、物入れはほんのちょっと前進したところまでで終了となった。
今回も生ごみ袋を4つこしらえて、あと不燃物系を亡父の部屋へ分別して収納した。
兄貴たちに駅まで送ってもらう時刻が迫ったので、今回の終了宣言をしてリビングでひと休み。
あとで、風呂洗いを忘れたことに気付いたが、そのときは、とりあえずホッとして脱力していた。
今回もJR高速バスで新宿まで行った。早割でインターネット割だったので、JRの普通料金よりも安かった。交通費を節約する姿勢は、現役時代の亡父の姿そっくりで、遺伝かもしれない。買い置きを徹底し過ぎて同じ物がたくさん出てくるのを目の当たりにしながら、これも遺伝だと思っているわけで、親が死んでから、ようやく自分が二人の子であることを実感するなんて、情けない。けど、きっと自分の子供も同じ経験をするのかもしれないと思ってしまう。だとすると、今、自分は身の回りの物に対して、何をしておくべきか、そんなことばかり考えてしまう。
バスは30分遅れで着いたが、余裕を見てあったので、予定通りののぞみに乗車し、名古屋からも順調に自宅に着いた。実家から自宅まで約10時間。まるで海外へ行くほどの移動時間だった。
4月15日(月)「目指せマルチの女性・・・の風さん」
朝から製作所へ出張。久しぶりだ。なぜか駐車場がいっぱいだったので、Uターンして、別の駐車場にとめた。
会議を終えて研修所に出社。
10月の学会団体の工場見学申請の最後の詰めをやった。社内システムを通じての申請なのだが、入力項目は多い。ここまで綿密に事前検討を続けてきたが、それでもまだ色々と残っていた。しかし、夕方までにすべて完了した。最終的に見学先のトップが承認すれば、この件は成立ということになる。
福島から帰宅して、今週の最大の課題は、木曜日の非常勤講義と土曜日の講演の準備である。
その間にもあれこれ仕事をしながら、もう一つ重たい課題は、定年後の方向付けのための勉強である。
基本的にマルチの私だが、一般の女性ほどマルチには頭は働かないし、動けもしない。しかし、チャレンジ精神だけは取り柄なので、女性になった気分でマルチタスクに挑戦する。
今夜も、講義と講演の準備をそれぞれ少しずつやった。
4月16日(火)「狂気のテロ事件・・・の風さん」
研修所に出社してメールチェックしたら、今朝早く、工場見学の申請が承認されていた。これで大きな懸念点の一つが一段落した。
今日の午後には、もう一つやりかけていた仕事「白書作り」を一段落させることができた。
若い
ころに比べたらきっと業務効率は大きく低下しているに違いない。それでも、落ち込むことなく、粘り強く取り組んで、なんとかこなしていくしかない。
定時後は月に1回はまわってくる「戸締り当番」だった。休みのない生活を続けている私にとって、定時後の勤務はけっこう重たい。自分自身の仕事をカバンに入れてきていて、それらをやろうと思っているのだが、ほとんどやれたためしはない。今夜は、回覧雑誌に目を通したのが精いっぱいだった。
代車なので、下道を通って帰宅した。
それにしても、今日の、世の中の最大のニュースは、ボストンマラソンで起きた爆弾テロだ。9.11テロのときもそうだったが、どうしてこんなことが起こるのだろう、と信じられない事件だ。人間の狂気に限界があっても、文明が進めば進むほど手段が途方もなく大規模化していってリスクが大きくなる。会社のセキュリティ管理が厳しくなるように、日常の世界も次第に暮らしにくくなっていくのかもしれない。
4月17日(水)「考えることが多い1日・・・の風さん」
旧職場に出社したら、相棒が突発有休になっていた。心配していたことが起こったのだが、励ますべきことではない。ただひたすら受け入れてやること。それしか私にできることはない。
午前中、業者が新しいミクロ計測技術の紹介にやってきたので、その話を聞いた。なるほど、と思えるソフト技術がインストールされていて、近年のビジネスの基本を見る思いがした。
確認すると、営業マンが顧客のニーズを発掘して、それを商品化しているのだという。せっかくなので、いくつかニーズを提供したら、非常に喜んでいた。
午後は、先週の出張報告をまとめた。これも気になっていたことで、佐々木常夫さんが教える「仕事は拙速な方が遅れるよりずっといい」に従った。私に最も欠けていた能力ともいえる。
夜、ワイフとこんな話をした。ローンなどの借金は、退職金で一気に清算してしまうしかないね、と。
ただ、そのときの心配点は、それによって退職金がほとんどなくなってしまうことだ。
爆弾テロ事件の容疑者はまだ見つからない。
4月18日(木)「電気自動車と走る・・・の風さん」
退職金によるローンの一括返済の話を先輩にしたら、さらに保険の見直しもやるべきだと忠告された。
定年退職を機に、収入構造が一変するわけだから、それに対する備えとして、保険もより強固にする必要があるということだった。
明日は職場の年計のトップヒアリングがあるので、資料に記入する仕事があった。それを記入しながら、自分のこれからの仕事のデザインを少し考え、思うところを記入した。やらねばならないことは、こうして生まれ実行されていく。
今日も午後有休なので、本社で昼食を摂ってから本山キャンパスへ向かった。
警備員の人が大サービスで駐車場を確保して待っていてくれた。ありがたい。
講義が始まる前の控室で、事務員から中国土産のお菓子の紹介があった。旧正月で帰国していたのだろう。留学生が先生のために買ってきたお菓子のおすそ分けが事務室にも届いたのだという。日本にない味なので、勇気があったら試してみたら、ということだった。
箱の中にさまざまなお菓子が入っていた。確かに、どれ一つ、味を特定できるようなものがない。どれもこれも小袋に入っていて、名産とか特産とか仰々しい文句が書かれてあり、賞味期限も印刷されていたがほとんど期限切れだった。
それらの中からかりんとうによく似た外見のお菓子を選んで、恐る恐るかじってみた。
ねちょねちょしていて、最初は甘みを感じたが、途中から形容できない味に変わり、次第に不快感が口中に広まった。最後の食感は「不味い」だった。食べ物に鷹揚な私でさえ、飲み下すのはつらかった。
帰りに自動車専用道路(制限速度70km/h)を走っていると、目の前のクルマが日産のリーフであることに気が付いた。普通に走っている。電気自動車と一緒に走るのは初めての経験だった。
ホームセンターに寄って、物置の展示を見てきた。ワイフが最初に見たものの確認だった。実家から送ってくる遺品などを仮置きするためのものだ。
今日は朝から気温が上昇し、名古屋の最高気温は15.8℃まで上がったという。初夏というか夏目前の陽気である。ところが、明日から冬型の気圧配置になるというから驚きだ。
4月19日(金)「冬に逆戻り・・・の風さん」
研修所へ出社途中で大渋滞になっていた。ほとんど動かないのだ。
ようやく動き出したころ、対向車線を救急車が走って行ったから、事故か病人の輸送があって道路を封鎖していたのかもしれない。
研修所の同僚から良い話を聞いた。自宅の庭で咲いている花を持参して受付のところに置いたという。3種類に中の1種はローズマリーだった。
昔、会社に入ったころ、よく職場の女性が花を持参して出社してくるのを目撃した。社内華道教室のためというのもあったが、職場に活けるためのものもあった。朝やお昼には、お茶場からお茶を淹れて上司らに配るという習慣もあったが、今はほとんどなくなっているようだ。
強制はよくないだろうが、そういうことが普通になされる職場は、雰囲気の良い職場と言えるのではないだろうか。
同僚の提案に心を動かされたが、うちの庭には地植えの花はなく、すべて鉢植えか必要時に買ってくる花しかない。
今日はカリチューが名古屋のオークションに出かける日だ。残念ながら今日もお目当ての仕様のクルマは出ていない。妥協策をさらに広げる必要がありそうだ。
下道を通って、途中で代車に給油して帰宅したが、今日は朝から寒かった。気温は8度は下がったようだ。
明日は名古屋で講演するので、今夜中に講演スライドを完成させねばならない。
4月20日(土)「講演の狙いは大成功・・・の風さん」
今日の講演は、吉田光由の解説としてかなり充実した内容になるので、大いにモチベーションが高まっていた。
結局、午前4時ころまで夢中になってスライドを完成させ、それから4時間の仮眠をとった。
講演は午後である。
午前中はワイフとの約束で、寝室の特殊物入れに置いてある粗大ごみをおろし、代車のイプサムに載せてクリーンセンターへ向かった。
私にとってクリーンセンターは初めてで、分別して置いていくことにより、リサイクル、焼却、埋め立てとゴールが決められる。係員とワイフが顔見知りで、こういうことからも地域に根をおろしている主婦と世間知らずの夫の差が歴然とする。
新たにできた特殊物入れのスペースは、母の遺品置き場となる。
私より先に出かけるワイフを駅まで送り、残りの時間は、今度は私の出かける準備である。
時計との競争だった。最後はおにぎりを2個胃袋に放り込んで、キャリーバッグを引きずりながら駅まで向かった。
行きの電車の中で最後の勉強をした。
今日は愛知県技術士会での講演だったが、これほど安心できる聴衆はめったにない。レベルが高く前向きで、専門外のことでもそれなりに受け入れてくれるからだ。そして、結果も、実際にその通りだった。質疑応答含めて講演時間もたっぷりもらえたし、懇親会もあったので、講演内容はしっかり伝わったと思う。持参した本がほぼ完売したことでも裏付けられる。
意外なほど近くに住んでおられる方と一緒に電車で帰った。
また一つ大きな仕事を終えることができた。
4月21日(日)「遺品整理のための物置購入・・・の風さん」
今年は、世間ではPM2.5なるものが有名になったが、代わりに黄砂や花粉症がなくなったわけではない。
重症の花粉症である私は、昨年からマスクを多用している。ピーク時は、睡眠中も装着しているほどだ。そのうち経済的に余裕ができたら、家の中の要所に空気清浄機を設置したい。
昨日に続いて、母の遺品置き場確保のための仕事があった。
昼食後、ワイフと近くのホームセンターへ出かけ、下見しておいた物置を購入した。約2坪の面積があるので、容量も十分だが、価格もかなりのものだった。
これでは、とても自分一人で組み立て設置することはできない。業者に委託することになるが、残念ながら福島へ出かけるGW前までに設置することはできなかった。GW明けになった。景気が少しずつ戻ってきているのだろうか。
帰りに4週間借りっぱなしだった本を図書館へ返却したが、1ページも読めなかった。こういったことでも、私の普段の生活実体を物語っている。
この土日に会社の安否確認訓練があったが、ぼんやりして忘れていたため、ケータイと家の電話にフォローがあった。
新執筆マシンにはまだURLがセットしてなかったので、旧執筆マシンを立ち上げてさっさと処理した。
6月に出版される新鷹会アンソロジーのゲラ校正に集中した。これまで本になってなかった短編が収録されるので楽しみである。
4月22日(月)「ダウンしても寝ていられない・・・の風さん」
昨日まで夢中で頑張った反動が出た。朝、めまいがして起きられなかった。止むを得ず突発有休にすることにした。
今日は旧職場へ出社し、夕方本社で用事を済ませ、定時後は職場の歓迎会に出席する予定だったが、すべてキャンセルとなった。
めまいがしていたからと言って、寝ていられるわけではない。週末までに雑誌の原稿を提出する予定になっていた。
しかし、その前に、校正を済ませたゲラを出版社へ返送しなければならない。町の郵便局まで代車で行って投函してきた。明るい日差しに初夏を感じた。
今日は原稿だけでなく、木曜日の講義の準備もした。
4月23日(火)「ミッシェルの後継車探し・・・の風さん」
GWが近付いている。普通なら時間がたっぷりあるから、たまった仕事を片付けることができる、と思いたいところだが、そうは問屋が卸さない。
母の遺品整理をするためにワイフと出かける予定なので、自分のことをやる時間的余裕はないのだ。
なので、むしろGWに突入する前に、やれることはやっておかねばならない。
少し早いが、長男への義援金を送金した。
それから、長期戦の様相を呈してきたミッシェルの後継車探しについて、カリチューと打ち合わせた。選択肢を広げておこうと思ったのだが、すぐにいくつか消えた。
最後は店頭に並ぶクルマの中から、というのは真っ先に消えた。中古車屋だが、極上車ばかりが並んでいて、予算的に合わなかった。
次に消えたのが、壊れたミッシェルのオートマはもちろん、次に不安を感じさせるエンジンも一緒に交換である。どちらもリビルト品と交換するのだが、リスクが高くてやめた方がいいというのが社長のアドバイスだった。
代車で福島まで行くことの了解も取り付けつつ、結局、辛抱強く同型車探しを続けることになった。
今日も有料道路を使わずに帰宅した。
4月24日(水)「不安が的中・・・の風さん」
朝から本格的な雨だった。
研修所に出社し、午前中は自分が主催した会議。昼食はカロリーメイト200kcal。午後から会議に出席し、夕方から旧職場へ移動。
定時後に交通安全映画を鑑賞した。高齢運転者に焦点を当てた内容で、とても他人事とは思えない。自覚症状が出たら、さっさと免許証を返上すべきかもしれない。
昨年度の会社の加害事故の実態が明らかになった。史上最悪の数値だった。私の指摘したことが実証されたようなものだ。会社はもっと社員を大切にするべきだ。
4月25日(木)「また無茶をやりだした風さんの巻」
今朝の午前2時ころ、ダウンしていたリビングで目が覚めてからずっと起きている。
早朝の電車で上京するワイフを駅まで送った。
雑誌の原稿に真剣に取り組みだしたのだ。いくらなんでも連休に突入する前に提出しておきたい。
しかし、出社前に完了するはずもなく、時間が来たので家を出た。
研修所で午前中は会議に出たが、気が遠くなりそうだった。
午後から有休で、本社に寄って昼食を摂ってから愛工大本山キャンパスへ向かった。
昼食の鶏肉のささみとバジル入り塩ラーメンが実に美味かったので、気分は上々だったが、今日はパソコンを持ってくるのを忘れた。
事務室でパソコンを借りて、講義に臨んだ。
講義の冒頭、以前からやりたかったことがようやく実現した。
中国人留学生の名前を中国語で呼ぶのである。前もって『新字源』で調べておいたので、ワクワクドキドキだった。
5人の留学生に四声の確認をしながら点呼したのだが、反応は上々だった。自分だって、もし留学先で先生から日本語で点呼されたらうれしい。
東北大学で第二外国語として中国語をとったことも話した。魯迅との関係も話した。
帰宅したらすぐ仮眠しようと思っていたが、留守中、宅配が2件あって、電話で配送をお願いしたので、寝られなかった。
ワイフの帰宅は午後11時過ぎだった。
4月26日(金)「とりあえず原稿提出・・・の風さん」
今日も午前2時ころからずっと起きて……執筆を頑張るつもりが、未明にちょっと寝てしまい、原稿が大ピンチに。
結局、根性で仕上げて、出版社へ送付した。
連休突入前に第1稿を送りたかったので、とりあえず目標は達成した……ことにしておこう。
寝ぼけ頭で出社。今日も午前中は自分主催の会議。現地で立ったままの会議だ。レイアウト検討会だからこれでいい。
待っていた年金説明会の案内が届いた。ホッとした。
午後は本社で会議があるので、正午に会社を出発して、本社で昼食。そこで忘れ物に気が付いた。会議の前に寄りたいところがあったのだが、忘れ物をしたのでは始まらない。
昔の部下の席で定年後の年金や保険などについて雑談した。これが重要なのだ、今の私には。
しかし、雑談よりも昼寝をするべきだった。
午後の会議で何度も気が遠くなった。
研修所に戻って、今日が締め切りの計画表作成に取り組んだ。何とか完成したが、自主テーマのドライブ計画書は未着手となってしまった。久しぶりに実家までクルマで行くので、ドライブ計画書を書いてみたかった。
帰りに床屋に寄った。
意外に元気で、80ページも文庫を読んだ。
4月27日(土)「5刷決定!・・・の風さん」
昨夜早寝をしたので、睡眠時間がほぼ8時間になった。
元気になったので、実家へ旅立つまでの3日間でたまっている雑用を片付けねば。
気まぐれ日記を3日分書き、読みかけの文庫を2冊読了し、書斎の外のガラクタ置き場を整理した。これで、執筆にも着手できれば最高だったが、そこまではできなかった。
5月の新潮選書フェアで『江戸の天才数学者』が選ばれ、大きく宣伝されるため、また売れる可能性が高い。ポスターの図案と一緒に、5刷決定の連絡があった。
営業作家の異名をとる鳴海風なので、今年もずっとキャンペーンをし続けよう。
4月28日(日)「観光日和・・・の風さん」
朝から雲一つない青空が広がった……のだが、起床は11時過ぎ。つまり、11時間も寝てしまった。
実家から運んでくる母の遺品を置くために、寝室にある特殊物入れを整理した。
屋根裏のような位置にあるので、作業は困難をきわめたが、仕方ない。徹底してやった。
たっぷり睡眠効果でダウンすることなく、買い物に出かけた。
観光地に住んでいるので、幹線道路は大渋滞である。
裏道へハンドルを切った。
家電量販店に行ってLED電球を買って、スーパーでレギュラーコーヒーを買って、ガソリンスタンドで代車に満タン給油した。窓をしっかり拭いてもらって助かった。
4月29日(月)「いくら整理しても捨てなきゃ片付かない・・・の風さん」
新鷹会の後輩で、大学の後輩でもある作家篠原景が処女出版を達成した。
老舗の廣済堂文庫で『柳うら屋奇々怪々譚』である。
後輩とは言っても彼女はかなり若い。それでもう時代小説を商業出版するのだから凄いとしか言いようがない。私も頑張ってエンタメ小説を書かねば。
今朝は睡眠時間が5時間ほどで起床した。
明日から実家へ出かけ、帰りには遺品をどっさり持って来る予定なのに、書斎の受け入れ準備がちっとも進んでいない。それで、焦って早起きしたのだ。
午前中にホームセンターでカラーボックスを購入するついでに、海の見える高台にある喫茶店でコーヒーとケーキを楽しんだ。親しい役場の人も夫婦連れで現れて、ビックリ。
遺品の整理が終わったら、真剣に文章サークルの再開を企画せねば。
午後いっぱい書斎の整理に精を出したが、積極的に捨てることができず、夕食時、落ち込んで落ち込んでしょうがなかった。
夕食後、再度、捨てながらの片付けに挑戦。
4月30日(火)「久々のクルマで帰省・・・の風さん」
これから福島県までクルマで出かけようとしているのに、夫婦ともに朝から完全にマイペース。つまり、ゆっくり。
普通に朝食を摂って、仏壇にも線香を上げて、道中の無事を祈った。
小雨がぱらつく中、少ない荷物を代車のイプサムに積み込んで、出発は10時半。
ETC車載機が再セットアップされていないので、若干の不安があったが、そのまま有料道路に乗った。
福島までクルマで行くのは10年ぶりくらいだ。その間に新東名が開通していたので、今日はそちらを試した。
長女の情報でサービスエリアが楽しいらしいので、出発から1時間半後、浜松SAに寄った。
きれいなサービスエリアだ。うなぎエクレアを買って、コーヒーショップで食べた。
トイレに寄ったら、子供用の洋式便器が目に飛び込んできた。きゃわいい! トイレ文化は日本が世界の最先端を走っているのかもしれない。思わずiPhone5でパチり。でも、Facebookにアップしたりはしない。きりがなくなるから。
1時間休んで、1時間半走って、御殿場SAで持参したおにぎりで昼食にした。東進する雨雲を完全に追い越した。
首都高もまったく順調で、明るいうちに東北道の蓮田SAに着いた。ここでおやつにし、次に那須高原SAでトイレ休憩兼お土産ショッピングをし、とうとう1度も渋滞にかからず、そしてETCも問題なく須賀川に着いた。
9時前に母と何度か来たことのある和食レストランに入ることができた。
10時間かかったが無事に着いたし、実は今日は結婚30周年だったので、豪勢に定食を食べた(笑)。
帰ったらハイボールで祝杯を上げようと、コンビニでウィスキーとソーダと氷を買った。
実家に着いてすぐ、ワイフが冷蔵庫の電源を入れて、ソーダと氷を入れた。
しばらくして冷蔵庫を開けてみたら、冷蔵庫の内部は室温のままだった。電源は入れたが温度調整スイッチを入れてなかったのだ。袋の中の氷が溶けていたので、急いでダイヤルを「強」側にめいっぱい回した。
ゆっくり風呂に入って、iPhone5でたっぷりゲームを楽しんだ後、さあハイボールを作るぞ、と再び冷蔵庫を開けて愕然とした。
一度溶けた氷のかけらがガチガチにくっついていた……だけでなく、冷蔵室のソーダも凍っていた。
2013年5月はここ
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